竜右衛門窯









太田和明陶芸教室
〒192-0151

東京都八王子市上川町3363

竜右衛門窯

TEL/FAX 042-654-1333

MOBILE 090-7171-6067

MAIL kazuaki@ryuemon.jp




マスコミに登場

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陶芸家としての太田和明や、陶芸教室の講師としての太田和明が、雑誌や本、新聞に載っています。順次発表していきたいと思います。

太田和明の作品が、八王子市報に載りました。

カフェで使われている、赤い椿の抹茶碗です。中町のカフェ「すず」で使われています。




ハマカ―ン(芸人さん)のお二人が陶芸体験にきました。

BS朝日2012年12/7(金) 11:00〜12:00 テイバンTVにて放映されます。











「旅行読売」2012/8月号 に掲載されました。





陶遊 2002 31号

株式会社 新企画出版局 発行

2002年7月19日








早稲田学報

'95  10 ≪ずいひつ≫に掲載

「急須について」

日本工芸会正会員 太田和明

 急須だけの個展を開催したいと思いついたのが2年前だった。日本工芸会の展覧会で私はいつも大きな壷を出品している。1992年5月号の本誌で私は壷に関しての思い入れを書いたが、その対極にある急須の存在には私はかねてから驚異に近いものを感じていた。人の手の中に収められる小さな急須という存在の魅力は何なのか。眺めるもの「壷」と毎日何度も手中に収めるもの「急須」が私の頭の中を駆け巡った。

 口の造りを工夫し、茶こしの穴や接着具合を確かめ、取っ手の角度や、持ちやすさを研究し、蓋の収まり具合を考えた。うん、これでいい。後は窯に入れるだけだ。

 焼きあがった急須をもって銀座の黒田陶苑を訪れた。主人の黒田美穂さんは私の急須を手に取り眺め、「よくできていますね。いいものをお見せしましょう」と言って、奥から小さな桐の箱をもってきた。紫色の袱紗をほどくと中から小さな焼しめの急須が現れた。「半泥子です」と美穂さんは言った。川喜田半泥子の急須は初めてだったのでいくぶん緊張して手に取った。正直言ってかなり取っつきにくさを感じた。その肌はごつごつして、いわゆる急須の約束事はすべて否定されているようだった。それは半端ではなかった。口はおちょぼ口、口先も轆轤のひきっぱなし。とってはかなり変形し、おまけにヒビも入っている。巷間足を取っ手に見立てて、急須を立ててみて、立ったらその急須はバランスが取れているといわれているが、そんなことは頭から考えていないようだ。蓋が堂々と威張ったように乗っている。さて茶こしはどうやって造ったのかな。蓋を開けてみるとなんとそこに茶こしはない。「うーん」とうなって美穂さんの顔を見るとにやにや笑っている。「お茶がおいしいですよ」確かにお茶はおいしかった。

 以前、早稲田大学の恩師の郡司正勝先生の書斎でいただいたお茶を思い出した。この世にこんなおいしいお茶があったのかと私は感動してしまったのだが、郡司先生は1時間ほどアジアの芸能についてお話をされその間にゆっくりお茶を淹れてくれた。「おいしくいれればいいんです」という言葉があった。

 日本一の急須作りといわれている、山田常山氏は陶工陶談で、「要はおいしくお茶を飲むよう工夫すればそれでいいことだ」とわけもなく言い放っている。(山田氏はのちに人間国宝になりました)

 さて私はといえば前に造った急須のすべてを壊してしまった。うまくできている、きっちりつくられているといった急須に少し不満を感じた。もっと温かく、愛らしく、ときになまめかしく、まるで生き物のような急須でなければと思い至った。当初それらの感覚的側面と、もう一方にある機能とが相反するものと思えた。つまり機能を優先するか、感覚的なものを優先するかだ。しかし、前述の3人の言葉によって、その二律背反性は見事に解決できた。6月の個展「九十九急須展」の後、私の九十九個の急須たちが、おいしいお茶をふるまっているのを確信している。



幸福な仕事ー山田優子著 に掲載

有限会社 自然食通信社 刊

2001/9/25発行

1993/8/31アサヒタウンズ掲載

「陶芸に巡り合ってひたすら土と対峙」

 日本工芸会正会員の太田和明さん(44歳=八王子市中野町)は、日本伝統工芸展の応募作品を日本橋三越本店に、朝日陶芸展への応募作品を名古屋のデパートに、相次いで搬入した。公募展には83年から出品していて、最初のころは結果が出るまでドキドキしていたが、最近は冷静に待つ。

 出品作はどちらも一抱えもある大壷の前面に流れるような連続模様をほどこした「彩紋壷」。信楽の土を使った焼しめだ。「彩紋壷」とは彩文土器にヒントを得て太田さんが名付けたもので、完成されたフォルム、水あるいは風の流れを感じさせる幾何学的な模様の連なり・・・・・一度目にすると忘れられないほど個性的だ。

 「大きな壷ほどだいご味があっておもしろい。壷は人間の体と同じ。口があって肩、胴、腰と続く。いかにきれいなラインを出していくか、一番気を遣うところです。」と太田さん。大きな作品の場合、いくつかに分けて造り、後で合わせる方法もあるが、太田さんは、「一本びき」といって20sの陶土の塊を轆轤台に載せて、まず筒状にひき、翌日、土がやや硬くなったところで一気に形作る方法をとっている。「力がいるので、若いうちでないとできないんです」2か月かかって乾燥させ、素焼した後、「着物を着せていくように」絵付けするが、狂いの許されない紋様だけに、釉薬を載せる前に水性のサインペンと製図用の定規や分割器を使って綿密に割り付けしていく。「局面に流れるように模様を置いていくと、なぜか心が落ち着くんです」割り付けに従って壷の表面に載せていく土灰、柞灰、コバルトなどの釉薬には、水酸化アルミニウムを混ぜて融点を高くするため、1250度で26時間、本焼成してもガラス質に変化せず、やきしめの素地と溶け合って冴え冴えとした美しさを出す。

 陶芸を始めたのは32歳。早大文学部で鶴屋南北を専攻したのをきっかけに演劇に傾倒し、唐十郎主宰の状況劇場の公演を観て、「これだっ」と即入団し、2年間在籍して退団。その後、舞踏団でダンサーをしていたが、3年で区切りをつけ、芳江夫人(44歳)の故郷、八王子市でパブの店長におさまった。

 81年、日本陶芸展を見に行った太田さんは会場で一つの作品に強くひかれた。秋川市(現・あきる野市)の武田楽さん(93年6月27日に71歳で没)の手になる大壷で、全面に施された象嵌の線のシャープで、美しいこともさることながら、不況で機屋を廃業したのち、54歳で岐阜県陶磁試験場の門を叩き、10代の若者に交じって一から陶芸を学んだという経歴に心を揺さぶられた。「こういう生き方もあるのかと、目を開かされた思いでした。」

 すぐに武田さんに電話して入門。手びねりを学び、翌年、藤沢市在住の陶芸家、佐藤和彦さんから轆轤の手ほどきを受けた。陶芸という新しい表現方法と巡り合った太田さんは、一気にひきこまれひたすら土に向かって作品を造っては武田さんのアドバイスを受け、83年には自宅に窯を構えるという熱の入れよう。その年にプロ作家が多数応募する伝統工芸武蔵野展に入選した。その後も「自分を曲げてまでも作品を作って売るな」「1つの作品に100時間かければ、必ずいいものが造れる」という武田さんの言葉を守って、公募展に的を絞り、伝統工芸新作展、朝日陶芸展、日本伝統工芸展、日本陶芸展と次々と入選を重ねる一方、生活のためパブの店長も続けた。

 89年、銀座の黒田陶苑の主催で初めての個展を開催。「この時ですね、プロの陶芸家なんだという意識をもったのは。お客さんに作品を買っていただく以上、せきにんがありますから」

 92年、三越新宿店の企画で個展を開催。約100点出品したが、このころからパブ店長と陶芸家の二足のわらじが辛くなってきたため、93年、工房を八王子市上川町に移転、教室も始め、陶芸で一本立ちした。「釉薬一つとってもやりたいことは山ほどありますが、ひとつのことを完成させるには10年はかかる。行き詰まるどころか、一生かかってもやりきれないんじゃないかな」  93年8月21日 太田和明陶芸教室



早稲田学報

'92 5 ≪ずいひつ≫に掲載

「壷のかたち」

日本工芸会正会員 太田和明

 20キロほどもある粘土の塊が私の前にあります。何万年もの歳月をかけて私の前に現れたであろうこの土塊の中に、私は自分の壷をイメージします。「待っていろよ、いま取り出してあげよう」

 土が自分の体と一つになったとき壷は完成するのですが、その予感を、荒もみから菊ねりの時すでに感じま適度な水分と自分の体温と400回の菊練りの中で、やがて土は手のひらに吸いつく感触をもち、この土が私と一体化しようと近づいてきます。

 「自分の体の一部になってきたな」その土塊をわくわくしながら抱き上げ轆轤の鏡面に載せいよいよ水挽きです。数回に分けて目標の高さまで息をつめ水挽きするときが、最も緊張のときです。どんなに丸いものを造るときでも、この水挽きのときにはまっすぐな筒を挽きます。轆轤は右回りに回転していますが、このとき、まっすぐに挽けていないと目が回って気分が悪くなってきます。水挽きした筒が地球の中心に向かって直立していれば、それがどんなに長時間回っていようが静止しているのと同じです。

 さてこの筒を徐々に膨らませて、丸い壷にしていきます。このとき、壷の内側は私の内面の小宇宙となって私と一体化していきます。できるだけ膨らませよう!

 どれだけ広大な宇宙を創造できるかと、いくぶん大それた気分をもちつつ内側の土に手をそえます。壷の腰をぐっと張らせて、なだらかなやさしい丸みをもった胴を造り上げ、やわらかな肩から、口へと美しい壷へと変化させていきます。この最後の口造りが壷を造るうえで苦心するところでもあり、また陶芸家の最大の腕の見せ所なのです。これは壷の口がその器体の頂点にあるとか中心に位置するとか一番目につきやすいとかいったことではありません。壷の口は内面への入り口なのです。するりと内側に入り込めるか、すとんと中に落ちてしまうか、そっと中をのぞきこんだらぐっとひきこまれてしまうか、あるいは、気付かずに通り過ぎてしまうか。壷は内側を造るといいますが、口は内面と外側との接点なのです。なぜ自分の宇宙が壷の内側にあるかといいますと、具体的にはその大きさが自分で見られるか、つまり自己の視界に入れるかどうかということにあります。壷の丸みが自分の体に納まりきれるか、そしてさらに壷が自分を大きくしていくことができるか否かが問題なのです。それは単に容積として大小の問題でなく、自分の体で感じ取る大きさ、すなわち自己の宇宙の広がりというものを自分の中でどれほど広大な奥深いものにするかということなのです。壷は外側から見るよりも、内側を見た方がずっと面白いのです。

 広大な宇宙が広がっています。いいなと思う壷に出会ったとき中を覗いてみてください。でも中に入り込んで出られなくなっても私は知りませんよ。その時私は美の女神と、うま酒を酌み交わしていることでしょう。



模様ノート・基礎編

1987.9.15発行

視覚デザイン研究所 発行




模様ノート・応用編

1987.11.10発行

視覚デザイン研究所 発行